日本競泳界でいち早くワットバイクをトレーニングに採り入れた、東洋大学・平井チームの平井伯昌監督。そして、最も熱心に取り組んだ、青木玲緒樹選手(ミズノ)。
14年という途方もない年月の末に辿り着いた素晴らしい場所、そこに至るまでの素敵なストーリーです。
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(TOKYO2020+1)二人三脚14年、才能信じた監督と 競泳・女子100平、青木玲緒樹
時間をかけて、答えを出す。女子100メートル平泳ぎで東京五輪代表に内定した青木玲緒樹(れおな)(26)=ミズノ=はそんな人だ。
■やめようと思った時、何度も救われた/大学4年で開花、今年つかんだ初切符
3年前、練習拠点のプールでインタビューをしたときのこと。小学生時代から指導を受ける平井伯昌(のりまさ)監督(57)の言葉で、一番印象に残っているものを聞いた。
「う~ん。ちょっと、考えてもいいですか」
1時間じっくり話を聞いても、答えは出なかった。「また、思い出したら連絡しますね」
荷物をまとめてお礼を言い、最寄り駅に向かって歩いていたときだ。
「すみません、思い出しました!」
自転車に乗った青木が、追いかけてきてくれた。
「自分に期待しろ、って言われたんです」
何度も水泳をやめようと思った。
最初は中学3年のとき。「水泳ばかりではなく、勉強して」と親から言われ、あっさりやめようとした。
「長い目でみてください」「タイムが伸びるのは大学生や、社会人になってからです」。平井監督がそう両親を説得し、踏みとどまった。
平井監督が指導する東洋大に進み、卒業後の進路を考えていたときは本気でやめようとしていた。
同じ平泳ぎには、リオデジャネイロ五輪で金メダルをとった金藤理絵、2学年下にはロンドン五輪にも出た渡部香生子(かなこ)がいた。「自分には才能がない。続けるレベルじゃない。トップにもいけないし」
五輪2大会連続金メダルの北島康介らを育てた平井監督だけは、青木の才能を信じていた。
小学3年のときにほれ込んだ脚力の強さを生かしつつ、腕のかき方、ターンの動作など細かい技術を根気強く教えた。
大学4年で迎えた日本選手権。中学2年から出場してきた国内最高峰の大会で、初めて自己ベストを更新した。いままで押しつぶされてきた重圧にようやく打ち勝った。
そのタイミングで、平井監督に声をかけられた。「続けてみたらどうだ」
そして、今がある。
4月5日にあった東京五輪代表選考会の女子100メートル平泳ぎ決勝。2位で初の五輪を決めた青木は、大粒の涙をこぼした。
「ずっとずっと、緊張して、昼寝もできなくて。2番でもいいから、行きたかったのでうれしい」
本番での目標を聞かれると、きっぱり言った。
「平井先生に、メダルをかけたい」
◇
「コーチが我慢しようと思ったんですよ」。平井監督は、14年にわたる青木の指導をこう振り返る。
「(14歳でバルセロナ五輪金メダルの)岩崎恭子さんのように、若いときから自分の気持ちをコントロールするのがうまい子はいる。玲緒樹はポテンシャルがすごいのに、緊張しやすかったり、技術の習得に時間がかかったりする」
何人もの五輪メダリストを育てた名伯楽も、5日の決勝では手に汗を握った。「北島康介、萩野公介の両コウスケのオリンピックの金メダルのレースよりも、緊張した」
喜びもそこそこに、「最後、負けたのが……。そういうところを直してもう一度『恩返し』と言って欲しい」。愛(まな)弟子への注文を忘れなかった。
(照屋健)
出所:朝日新聞, 20210409
承諾番号:「21-1332」
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