2023年1月7日に花園ラグビー場で行われた、第102回 全国高校ラグビー大会決勝戦は、今年度の高校3冠を狙う報徳学園と王者復活を目指す東福岡高校の激突で多くのスポーツファン注目の一戦となった。
試合は開始直後。敵陣深い位置でキックチャージ、ラックからつないだ東福岡高校が先制トライをあげた。しかし、その後は両者譲らず、一進一退を繰り返し後半10分、12対10で東福岡が僅かにリードと稀に見る好ゲームだ。ここで、東福岡のスタンドオフ、高本とわ選手がディフェンスの裏を突く鮮やかなパントキックを放ち、それをセンター、西柊太郎選手が抑えてトライ、東福岡が試合の流れを引き寄せた。そしてその後も得点を重ねた東福岡が6大会ぶり7度目の優勝を達成した。
試合の流れを変える絶妙のキックを放った、高本とわ選手。実はこの背景に驚くべきストーリーがある。
話は昨年(2022年)7月18日にさかのぼる。高本選手は菅平で開催されていた、7人制ラグビー全国大会の試合中に激しい着地衝撃を受け途中離脱した。翌日に行った病院での診断結果は前十字靭帯損傷。アスリートが最も聞きたくない病名の一つだ。高校生として最後の全国大会を5か月後に控えた若者が絶望の淵に突き落とされたことは想像に難くない。
指導者である高校ラグビーの名将、藤田雄一郎監督も苦悩していた。一般的に前十字靭帯損傷は手術からリハビリを経てスポーツ復帰まで8~10か月かかると言われている。
手術の選択肢は高本選手が最後の花園を諦めること、そして東福岡としては高本選手抜きで花園に向かうことを意味する。手術を大会後に先送りして保存、即ちテーピングをしてプレイ時間を制限しながら試合に出ていくという選択肢もある。
そんなとき、藤田監督のもとに思いもしなかった話が舞い込んできた。「SATO.SPORTS(京都府木津川市)の佐藤義人氏のリハビリを受ければ何とかなるかもしれない。」佐藤氏はラグビーをはじめとする各競技のトップアスリートから絶大な支持を集める「ゴッドハンド」だ。藤田監督はその時点で佐藤氏と面識はなかったが、紹介はリーグワン所属チームの信頼できる筋からもたらされた。
佐藤氏が藤田監督に伝えたのは「12月末には復帰することができるでしょう。」
常識外の一言に戸惑いながらもこの一言に押される形で、藤田監督、高本選手および両親が話し合いのうえ、佐藤氏のリハビリトレーニングを受ける前提で手術の決断をした。
藤田監督はそのときのことを述懐する。「あれは賭けでした。」
2022年8月8日、高本選手は兵庫県の病院で手術を受けた。そしてその1週間後から佐藤氏の下でリハビリを開始する。週に1~2回のペースで行われる1時間半のリハビリトレーニングは若く屈強なラグビー選手にとっても想像以上にきついものだった。
リハビリ初期からワットバイクがコアメニューとして使われた。まずはバイクの上で下肢を動かすこと。そして怪我をした右脚を意識して強く動かす。ワットバイクのPolar Viewはときに動作を肯定し、ときには容赦なくダメ出しをする。高本選手は左右バランスを示す左右出力%を特に意識して取り組んだ。
10秒全力のスプリントインターバル。心拍数は上がり、脚が動かなくなるまで漕いだ。
「佐藤さんとの1時間半は本当に辛いものでした。」と彼は当時を思い出す。
しかし、辛い時間はそれに留まらなかった。佐藤氏とのセッションがない日はワットバイクを備えているジムに通いセルフで佐藤氏のメニューに取り組んだ。結果的に彼はこの間、毎日、ワットバイクと向き合っていた。集中的なワットバイクの取り組み効果として高本選手は、ハムストリングスの使い方と左右脚の均等な力の入れ方を習得したことを挙げている。
佐藤氏のメソッドが如何にユニーク、そして凄いものか、高本選手が一つ事例を挙げて教えてくれた。「手術をしてくださった医師からは3週間は松葉杖を使うように言われていました。でも、佐藤さんのところに初めて伺ったときに佐藤さんから、もう松葉杖を取ってよいと言われました。実際に歩けたことには驚きました。」
また、藤田監督は手術後1か月強で送られてきた動画に驚いたという。「だって、砂浜を走っていたのですよ。」
佐藤氏の下での集中リハビリトレーニングは9月末でひと段落して、高本選手は10月から東福岡高校の練習に復帰した。帰ってきた姿に藤田監督は驚きを隠せなかった。「戻ってきた高本は別のフォルムでした(笑)。でかくなっていた。特に下半身が本当にでかくなっていたので驚きました。」実際に高本選手の体重は怪我前の74kgから80kgまで増量していた。
そして更に藤田監督を驚かせたのは高本選手のフィジカル能力。「フィジカル、特に下肢の出力です。脚が太くなったのは一目でわかりましたが出力も上がっていた。こいつ本当に怪我をしていたのか、と思いましたね。高本は元々、スキルは高校ラグビーでトップクラス、ただフィジカルはそこまでではありませんでした。それが大きく変わりました。これは本当に驚きました。」
チームに復帰したとはいえ暫くは個人リハビリに専念の日が続いた。学校でも引き続き佐藤氏のメニューでワットバイクと筋トレを中心に行っていた。高本選手がきついリハビリトレーニングを行う姿を選手皆が認め勇気づけられるというチームによい循環をもたらす側面もでてきた。
11月中旬にはグラウンドでコンタクトを伴わない練習を開始できるようになり、そのときには全力に近い強度で走れるようにもなっていた。高本選手は復帰への進捗の速さに「自分でもびっくりしていました。佐藤さんのリハビリとワットバイクがなければありえませんでした。」と振り返る。その頃、東福岡高校は高本選手をメンバー外として福岡県予選を戦って全国大会出場を決めた。
チーム内で花園のメンバー発表が行われる日、12月18日が近づいてきた。そして藤田監督は難しい判断を迫られていた。高本選手をメンバーに入れるべきか否か。また、その前提条件として気がかりなこともあった。
「もし担当の医師がノーと言えば私はその判断に従うつもりでした。ただ、1か月前に佐藤さんから大丈夫と言われていました。医師の判断をドキドキしながら待ちました。」
かくしてメンバー発表2日前の12月16日、佐藤氏の見立て通り医師の許可が出た。そして高本選手はメンバー枠最後の30人目の選手としてメンバー入りした。
藤田監督は当時のことをこう話した。「高本は何か月も試合に出ていませんでした。しかし私が選んだ理由の一つは、チームの皆が高本のリハビリに取り組む姿勢を認めて納得していたからです。ただ、高本に対しては、自分で考えてみなさい、もし自信がなければ辞退しなさい、とも伝えていました。」
このときのことを高本選手は、「当時は動いた感じもよくなっていましたしできると思っていました。折角選んで頂いたからにはやり切ろうという思いも強くありました。」
そしてその後、高本選手はコンタクトも含めたチーム練習に完全復帰する。
怪我をしてちょうど5か月を経たところ、術後約4か月後の本格復帰は驚異的という以外にない。
12月27日に花園ラグビー場で第102回 全国高校ラグビー大会が開幕した。
開志国際高校相手の二回戦、後半20分、高本選手はついに試合出場を果たした。15人制ラグビーの試合は6月第3週以来のこと、藤田監督の言葉を借りると「ぶっつけ本番」であった。しかし、藤田監督の評価は「他の選手となんの遜色なくできた。」チームは61対7で勝利した。
ここから東福岡は強敵相手に勝ち上がっていく。高本選手が復帰したことについて藤田監督は「高本が出ていることでチームは変わりました。周りの信頼度が違います。技量の違いというよりも高本が試合に出ていることによる目に見えないメリットがたくさんありました。こうした力がチームを日本一へと押し上げたことは間違いありません。」と述懐する。
東福岡が優勝を決めた決勝戦、1月7日はなんと高本選手が手術を受けてからちょうど5ヶ月後であった。この場合は「わずか5ヶ月」である。
高本選手の怪我はすっかり癒えた。彼は既に次のステージに向けてトレーニングを再開した。東福岡高校ラグビー部もまた新たな目標へ歩みだしている。藤田監督はこう話す。「高本が成し遂げたことは他の選手を勇気づけている。今も3名の選手が同じ怪我でリハビリに励んでいるが、彼らにとって高本の存在は大きい。そしてワットバイクは今やチームのトレーニングに欠かせない。高本が怪我をしたことで新しい縁ができ知らない世界を知ることができた。」
藤田雄一郎監督が率いる東福岡高校ラグビー部はこれからも困難を乗り越えながら進化を続けていくと思わずにいられない。
藤田監督が感じている、ワットバイクの有用性、そして高本選手を異次元の速さで競技復帰に導いた、佐藤義人氏のメソッドについては当サイトの次回記事で紹介をしたい。
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